スポンサーリンク


マネースクリプト診断

ポテンシャル年収診断


2019年10月11日

本質から学ぶExcel講座(1):Excel を本質的に学ぶとはどういうことか

小手先ではなく本質から Excel を学ぶ

生産性の差を生み出す Excel は現代人の最重要ツール

 ども勉三です。現代のサラリーマンの三種の神器とも言える、Word、Excel、PowerPoint。これらを使いこなせることは最早当たり前のスキルになってしまいました。とりわけ Excel に関しては、一般社員でも何万件ものデータを扱うことが珍しくなくなってきており、以前にも増して重要なツールとなっています。

 Word や PowerPoint は使いこなせるようになっても、見栄えや作業効率が多少上がる程度です。しかし、Excel は使いこなせるかどうかで、これまで明らかになっていなかった知見を見出すことができたり、これまで手作業で長時間かかっていた処理を自動化することができるなど、生産性に何万倍もの差がつくツールです。Excel をいかに使いこなすかが仕事の出来を左右するといっても過言ではなくなってきています。

小手先ではなく本質から Excel を学ぶ

 Excelの使い方といっても、「ある条件に合致するセルだけを集計する方法」だとか「重複を除外したリストを作る方法」といったテクニックはネットで検索すればすぐに見つかります。しかし、Excel で表を作る時にどう作れば集計や解析がしやすいのか、また、将来に渡って保守しやすくしておくにはどうすればいいのか、といった本当に大事な考え方については検索してもなかなか見つかりません。

 また、最近は投資銀行の人が書いた Excel 本が人気で、書店にいくと何冊も目にします。これらは投資銀行やコンサルでよく行う財務モデリングの作成には非常に有用で、すぐに役に立つテクニックやベストプラクティスが詰まっており参考にはなるのですが、逆に言えば投資銀行やコンサル以外の人にはあまり参考にならない部分も多いと思います。つまり、これらの書籍も一部の人には実用的ではあるのですが、本質には至っていません。

 本講座では、単なる小手先の技術だけにとどまらず、Excel の最も効果的な使い方を本質から解説していきます。巷にある多くの Excel ハウツー本やウェブサイトが表面的な小手先の技術に留まっているのは、彼らがソフトウェアエンジニアリング(ざっくり言うとプログラミング)やデータベースの考え方を知らず、それらの包括的な観点から Excel を捉えることができないからです。それでは浅い見方しかできません。

 実は、Excel で何かを作るというのは、ソフトウェアを開発しているようなものです。ですので、その正しい設計や活用にはソフトウェアエンジニアリングの正しい知識が本来必要です。そういった知識が無くても感覚で使えるのが Excel の利点ではありますが、それが逆に本来正しくない使い方の原因になっているのも事実です。

 前置きが長くなってしまいましたが、以降は Excel を本質的に学ぶ上で重要となる主なトピックを挙げていきます。これらのトピックについて、詳細は今後の連載で個別に取り上げていく予定です。まずは、どういったことが本講座で学べるのかを俯瞰的に眺めて頂ければと思います。

本講座で取り上げる予定のトピック(一部)

モデルとビューの分離

 ソフトウェアエンジニアリングの世界で常識となっている有名な原則に「モデルとビューの分離」というものがあります。これは、データ構造やその関係性といった「モデル」の部分と、それをユーザに分かりやすく表示するための「ビュー」の部分は、可能な限り分離した方が保守や拡張がしやすいソフトになるという経験則です。現代の多くのソフトウェアはこの考えに基づいて設計されています。

 なぜかというと、このようにしてソフトウェアを設計すれば、データの集計の仕方や見せ方を変えるだけであればビューだけを変更し、モデルを変更する必要がないからです。データの集計の仕方や見せ方というのは頻繁に変わるものなので、その部分だけを独立させれば、変更の影響を最小限に留めることができます。

 一方で、Excel はいわばモデルとビューが最初から一体になったようなソフトと言えます。モデルである二次元配列(シート)には、スタイルやユーザーインターフェイスが付属しており、ビューとしてもそのまま扱うことができます。これは Excel の便利で使いやすい性質ではあるのですが、そのためかモデルとビューが強く結合したワークシートを作成してしまい、非常に扱いづらいものになってしまうケースが多々見受けられます。

 本講座では、このモデルとビューの分離について基本となる考えを紹介し、その上で実用上どのようにワークブックを設計するのが良いのかを解説予定です。

保守性を高めるために

 Excel を使う上で気を付けるべきことは「保守」のしやすさです。Excel でも一般のソフトウェアでも何でもそうですが、一度作って終わりということは稀です。データの数や項目が増えたり、集計条件を変更する必要が生じたり、あるいは新しい機能を追加することになった際に、変更を加えて使い続けられることが重要になります。

 要件や仕様の変更に柔軟な設計をするためには、ワークブックやシートの構成にある程度の一般化・抽象化が必要になります。しかし、これにより逆にセルの数式が分かりにくくなりロジックを追うのが難しくなるという負の側面もあります。この「一般化」と「分かりやすさ」のトレードオフの程よいバランスを見つけるのが、保守性の高い Excel ワークブックを作る上では重要となります。

 本講座では、ソフトウェアの保守性という観点から、どのようにワークブックを設計すれば、変更に柔軟で誰が見ても分かりやすい Excel ができるのかを解説していきます。

Excelとソフトウェアテスト

 ネット上では「Excelで計算を自動化したら、上司に電卓で検算を要求された」という話がネタとして扱われています。しかし、これは結構本質的な問題を突いているのではないかと勉三は思います。

 もちろん、Excel 自体は指示した計算を間違えないでしょう。ですが、その指示をするのは人間です。人間は間違える可能性があります。最初に作ったときは正しく動いていても、拡張を加えるうちに参照がずれて計算結果が想定したものになっていなかったというのは、よくあることだと思います。

 Excel がビジネスや研究開発の現場で多用されるようになると、Excel の結果の正しさをどう担保するかは以前にも増して重要性を帯びてきます。例えば、M&Aのバリュエーションで「Excelのシートにミスがあり、金額が1桁違うことが分かりました」ではシャレになりません。ですがこのようなミスをした、あるいはしかけた人は結構いるのではないでしょうか。

 これも小手先の Excel というツールだけで捉えて議論すると本質を見落とします。この問題は、ソフトウェアテストの領域であり、一般のソフトウェアのテストの枠組みで考えることができます。本講座では、どのように Excel の計算結果を担保すべきかを、ソフトウェアテストの観点から解説します。

次回予告

 いかがでしたでしょうか。次回からは今回紹介したトピックについて1つずつ、詳細に解説していきたいと思います

タグ:Excel講座

スポンサーリンク




posted by 勉三 at 23:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | IT

40代以上で管理職経験のない平社員はもっと危機感を持つべき

40代で管理職経験なしは想像以上にヤバい

大企業の常識に染まってしまうと危険

 ども勉三です。勉三のいたメーカーもそうでしたが、日系の伝統型産業の大企業だと40代になってようやく管理職につく人が殆どということは珍しくありません。ここでの管理職とは、(事業会社であれば)明確な部門と部下を持つラインマネージャーのことで、多くの企業では課長やマネージャーと呼ばれるポジションのことを想定してください。名目上は管理職扱いでありながら部下を持たないポジションというのもありますが、こういったものは「なんちゃって管理職」であって、「本当の管理職」ではありません。

 実は、40代以上で管理職経験なしというのは非常にヤバいです。ですがこういった大企業ではそれが常態化していて、若造が「30代で課長になりたい」なんて言い出すと「何言ってんだこいつ」と言われかねないぐらいです。また、管理職になれればまだいい方で、最近は管理職になることなく一生平社員で過ごす人も珍しくありません。

40代以上の平社員は会社が最も切りたい層

 昨今、多くの企業で早期退職募集がかけられていますが、その多くは40代以上をターゲットとしています。それも40代以上で管理職についていない平社員です。会社からしてみれば、この層が最もコスパが悪く切りたい層なのです。

 そもそも組織というのはピラミッド型である必要があり、上に行くほどポストは少なくなっていきます。本来であれば40代以上で上に行けなかった人は、ピラミッドの底辺にい続けるべきなのです。しかしながら、日本の企業では職務給だなんだのと言っても、今でも年功要素が強く残っており、40代で管理職になれなかった平社員でも年収1000万前後を貰っています。平社員というポジションだけで考えれば、20代や30代前半の社員と同じ額の給与が適性なはずなのに、彼らの2〜3倍とかの給料を貰っているわけです。

 継続した高成長が見込めた時代はこれでもピラミッドが拡大するので回っていましたが、今はむしろ旧来型の産業はピラミッドが縮小している時代です。となると、若手に比べて同じポジションで何倍も高い給料を貰い続ける彼らは、とてつもなく「お荷物」であるというのが経営層の本音でしょう。

しかしリストラ後に40代以上平社員の行き場は少ない

 このようにリストラ候補である40代以上平社員ですが、いざリストラにあった場合に再就職が非常に困難という現実があります。なぜなら、同じように40代平社員が当たり前の内資大企業はどこも40代平社員は余っていて切りたいぐらいなので、わざわざ他所から採るわけがありません。

 一方で、実力主義の外資系や、人手が足りなくて困っている成長業界では、早ければ20代でも昇進して課長や部長になるような世界ですから、40代までぼーっと生きてきた人の需要はありません。運よく採ってくれるところがあっても、中小企業やベンチャーへの転職では、大幅に年収が落ちてしまうでしょう。

40代まで平社員で大企業にい続けることのリスク

 このご時世でも、大企業で1社で長く勤めるというのが安定で無難と考えている人はまだ多いと思いますが、勤め上げられればいいものの、リストラされたときのリスクは非常に高いです。勤め上げることを前提に、1社でずっと働き続け、40代に至るまで管理職につけない場合、社内ではどんどん年収は上がるかもしれませんが、対外的な労働市場価値は35歳あたりを境にどんどん下がり続けることは自覚が必要です。

 外資系で転職を繰り返すというのは、傍目で見ていると不安定に思えますが、実は労働市場で評価されるスキルや経歴を身につけているため、1社で運悪く切られても、すぐに他社に転職できるという意味では安定しているともいえるのです。

最後に

 いかがでしたでしょうか。大企業にいると感覚がマヒするのですが、40代で平社員というのは労働市場的には結構ヤバいと思った方がいいでしょう。今大企業に勤めていて、40代まで平社員が確定している人は、少し真剣に将来のことを考えたほうがいいかもしれません。

スポンサーリンク




posted by 勉三 at 01:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事・キャリア
2019年10月08日

「手取り14万円、日本終わっている」の議論で見落とされていること

 ども勉三です。ネット上で「手取り14万円、日本終わってますよね」と発言した人に対し、ホリエモンが「日本がおわってんじゃなくて『お前』がおわってんだよwww」とツイッターで批判したことが話題になっています(記事)。

社会として彼らにどう対応していくべきなのか?

 調べてみると、発端はガールズちゃんねるに立った「手取り15万円以下の人」というトピ(スレッド)にある、「アラフォーの会社員です。主は手取り14万円です…。都内のメーカー勤続12年で役職も付いていますが、この給料です…。何も贅沢出来ない生活。日本終わってますよね?」というトピ主の方の投稿のようです。

 これについては色々な意見や考え方があるかと思います。無論、社会には障害や病などで苦しんでいる方もおられるわけで、そういった通常の手段ではお金を稼げない人たちに対しても仕事を与え、社会としてどう支えていくかは大事なことであると勉三は考えています。

 しかしながら、恐らく精神的・肉体的にも健常で、日本での教育も受けてこられたであろう人の中にも、12年間勤続し手取り14万円という方もいるわけです。そういった人たちに対して社会がどう接すべきかは、先述の社会福祉とはまた別の課題があるわけです。

 その中で、自己責任論に走るのは容易ですが、勉三が思うのは社会はお金を稼ぐために必要なことをきちんと教えているのだろうかということです。お金を稼ぐためには「稼ごう」と思うマインドセットと、稼ぐための「スキルセット」が必要になります。その2点から考察を加えたいと思います。

お金を稼ぐためのマインドセット

 当たり前の話ですが、お金を稼ぐためには「稼ごう」とする強い意志が必要です。現代日本はこの点から目を背けて子供を教育しているのではないでしょうか?

 例えば、社会に出たら人間は年収で判断されるわけです。異なる職業の人を互いに比較できる共通のモノサシは年収ぐらいしかありません。ローンを組むときだって、転職する時だって、結婚する時だって、いつだって「どういう仕事をしていて」「いくら稼いでるのか」が問われるわけです。

 しかし、社会を見渡せば「人間の価値と年収は関係ない」だとか「年収なんかよりやりがい」という美辞麗句が溢れているのではないでしょうか? 学校では「年収は大事だぞ」と教えてくれる事はないでしょうから、親がきちんと教えるしかありません。しかし親が教えてくれなかったら? その子供はお金を稼ぐことに対して強いインセンティブのないまま育ってしまうのではないでしょうか?

 もちろん、まだ日本が貧しい時代はそんなことを教えずとも、お金を稼ぐことに強い憧れがありました。しかし、今は殆どの人が何不自由なく育ち、少しでも年収の高い仕事を目指すといったことは、むしろ否定されてしまう世の中なのではないでしょうか。

 あくまで仮定ですが、病気や障害といった理由もなく「貧困層」に陥っている方々には、こういったタイプの方が多いのではと思います。いわば彼らは自己責任ではなく美辞麗句を並び立て責任を取らない社会の被害者と言えるでしょう。逆に幼少期に貧しい境遇で育った人は、ハングリー精神がありお金を稼ぐことに対して前向きな方が多いのではと思います。

 勉三も小さい頃から「うちはお金が無いから大学は国公立しかダメだからね。受験落ちたら働いてもらうからね」と散々親から言われて育ってきたような環境でしたから、大学に入って周りがみんな裕福な家庭の子ばかりで驚いたものです。

お金を稼ぐスキルセット

 次に、お金を稼ぐということを精神面ではなく教育面から見ていきましょう。お金を稼ぐというのは社会に必要とされるスキルを身につけて、社会で価値のある仕事をし、その対価を受け取るということです。

 そして、グローバル化が進んだ現代では、単に小学校から大学まで教育を受けて、日本語だけが喋れるだけでは大した労働価値がありません。

 では逆に学校教育は、現代社会で必要とされるスキルを教えているのでしょうか? そうは思えません。学校教育のカリキュラムは、多少の改定はあれど基本的に100年前から枠組みがほとんど変わっていません。

 例えば現代で価値の高いスキルは、プログラミング、英語、数学、会計などです。ところが学校では古文、音楽、家庭科などの(労働価値としてみた時は)役に立たたない科目に多くの時間を割いています。

 別に勉三は古文や音楽が役に立たないと言いたいわけではありません。教養も必要でしょう。しかし優先順位というものがあります。そういうのはお金を稼げるようになってからやればいいのであって、お金を稼げるためのスキルをまずは身につけさせるべきでしょう。

 日本の学校教育はアジア諸国からも後れをとっています。中国やインドには「手取り14万」より安い給与で、英語もできてプログラミングもできる人材がわんさかいるわけです。

 この点に関しても、「貧困層」に陥っている方は社会の犠牲者といえるでしょう。学校で古文や音楽を教えているのは、児童や生徒のためではなく学校の先生の就職先を確保するためです。

 福沢諭吉は著書「学問ノススメ」の中で以下のように説いています。

学問とは、ただむずかしき字を知り、解げし難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦よろこばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴とうとむべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟ひっきょうその学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。

現代語訳:学問とは、ただ難しい字を知り、難解な古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなどといった実のない文学をいうものではない。これらの文学は、人の心を楽しませ良いものではあるが、古来より世間で儒者や和学者が言うほどあがめて尊ぶほどのものではない。昔から、漢学者で家のことをうまくやる人は少ないし、和歌が上手で商売も巧みな町人というのも稀である。このため、まともな町人や百姓には、子供が学問に没頭し出すと「そのうち貧乏でなんともならなくなってしまうのではないか」と心配する人もいる。これは無理もないことである。つまるところ、その学問が実益に遠くて日用に合わない証拠である。そうであるならば、こういった実益を生まないような学問は後にしておいて、もっぱら専念すべきは人間の日用生活に有用な実学である。

 福沢諭吉は実学こそが学ぶべき学問であると説き、後の節では「貴賤上下の区別なく皆が学ぶべきである」としています。また、個人が実学を身につけることで、天下国家も独立するのであるとしています。

 現代日本が忘れてしまったのはまさにこの精神です。お金儲けと実学から目を背け、お金を稼ぐ気の無い、お金を稼ぐことの出来ない人たちを大量生産してしまいました。もちろん、それが永遠に続けばよいのですが、実際は社会に出てからそうでないことに気づくのです。

最後に

 如何でしたでしょうか。今回の記事を読めば、自己責任論ではなく、彼らはむしろ社会の被害者であることに気づくのではないでしょうか。

スポンサーリンク




posted by 勉三 at 00:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事