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2020年03月31日

コロナウィルス対策に欠けているデータに基づく戦略的思考

 ども勉三です。連日、コロナウィルスに関する報道が過熱しています。勉三もリモートワークで仕事をする機会が増え、朝の各局のワイドショーなど色々見ていますが、そこで思うことが1つあります。それは、目の前の感染者数や治療といったことだけに目を奪われていて、より根本的な「データを集め、戦略を立てる」ところがすっぽり抜けているのではないかということです。

データの大切さ

検査には治療以上の意味がある

 今回のコロナウィルスへの対策にあたって「検査数を増やして陽性者が増えると病床が足りなくなるので、検査数は絞るべきだ」といった議論です。他にも「検査して陽性であっても治療薬がないので意味がない」だとか「検査のために人が押し寄せ医療機関のキャパシティを消費することになってしまう」といった主張もあります。

 ですが、このような議論ですっぽり見落とされているのは、「検査には目の前の治療以上の意味がある」ということです。

 例えば「各都道府県に現在どれぐらい(真の)感染者数がいるのか?」「感染者数の増加比率は一定なのか加速しているのか?」「何週間後にピークを迎えるのか」「いつまで外出自粛や休校措置を続けるのが合理的なのか?」「感染拡大抑制に有効な手段は何か?」といった、根本的な問いに答えるためにはデータが必要です。データなしにこれらの問いに答えることはできません。

 そして、これらのデータを得るためには、より多くの検査データが必要になります。それも、症状ベースで検査する以外にも、各都道府県ごとに何百名か何千名かを無作為あるいは年齢層別に抽出して検査する人口ベースでの検査も必要でしょう。なぜなら、症状ベースの検査では症状があった人のみを検査するので、「コロナウィルスと思われる症状が出ていない人」については抜けているからです。ニューヨークのある医師の報告では、無症状あるいはコロナウィルスと関係ないと思われる症状(腹痛など)で受診した人でも実は調べてみたら感染しているという事例が多いとのことで、検査数に基づく感染者数ではなく、人口中に占める「真の感染者数」を推定するためには、症状のない人を検査することが非常に大事なのです。

 ですが、日本のマスコミ報道などを見ていると、どうしても目の前の感染者やその治療についてだけ議論されがちと感じます。無論、目の前の患者を救うことは大事であり、そのために現場で対応されている医療従事者の方の貢献は素晴らしいものですが、それだけでは足りないのです。

ゼロベースで「あるべき姿」の議論も必要

 また、一時期に比べると影を潜めていますが「検査すれば陽性が増え、病床が足りなくなるので、検査をすべき」といった論調もありました。ですが、この主張では「陽性者を一律で入院させる」ということを暗黙の前提としており、検査数を増やすことの反対意見としては不十分です。検査することと、発症者や陽性者をどう治療するかは全く別問題であり、これらをごちゃまぜにして議論することはできません。

 他の反対意見としては「検査により医療機関のキャパシティを圧迫するから」「検査により医療機関でむしろ感染が増えるから」といったものもあります。ですが、これらも現状にとらわれた議論です。確かに今の検査体制だとそういったリスクもあるかもしれません。ですが、検査体制はいくらでも変えようがあるはずです。それに検査法はどんどん進化します。仮に現在より非常に簡便に検査できる装置が開発されたら、どうでしょうか? その際に上記のような論拠が成り立たなくなるのであれば、否定するのは一般論としての検査ではなく、特定の検査方法や検査体制であるべきです。

 このように、少し冷静になればだれでも分かるロジックですが、テレビのワイドショーの議論などを聞いていると、どうしても目先の事象ばかりを追い、議論の前提や論理展開が正しいのかという根本的なところがおざなりになっている気がしてなりません。

「検査精度が悪いから検査しても意味がない」のも間違い!

 検査に対する批判的意見では「現在のPCR検査は精度が悪いため、大量の偽陽性や偽陰性が出てしまう」といったものもあります。

 これもPCR検査をどのようなものか理解せず、その精度についての考察も不十分なまま、ただ出てきた数字としての精度だけを見て批判していると感じます。

 まず、PCRという検査法が精度が悪いものであると思っている人もいますが逆です。PCRという検査法は非常に精度がいいのです。これはDNAやRNAを構成する核酸塩基対の相補的結合をベースにした検査法であり、結合の特異性という面ではタンパク質の相互作用に基づく抗体検査などよりも遥かに高いのです。ですので、プローブの設計が適切であれば、偽陽性が出る確率は非常に少ない(数万分の1以下)と思います。つまり、PCRで陽性と判定された場合は、非常に高確率で陽性と考えることができます。

 一方で偽陰性については比較的高くならざるを得ません。これはPCRという検査法だけの問題ではありません。検査にあたっては被験者の気道由来の粘液を採取するわけですが、感染していてもウィルス量が少ない状態では、採取した検体にウィルス由来の核酸が十分に含まれていなかったりする可能性があります。PCRは非常に特異度が高い技術ですが、感度には限界があり、増幅にはある程度の分子数が必要です。ですので、そもそもの検体に含まれるウィルス量が無かったり少なかったりすることにより、実際に感染していても陰性であると判定される偽陰性は避けられません。

 すなわち、これは感度は7割程度であり、特異度は極めて高い(99%以上)ということを意味します(感度・特異度の考え方は過去記事「論理的思考力講座(5):感度・特異度・正確度(1)」をご覧ください)。どのような検査であっても感度・特異度とともに100%近くになることは殆どなく、大抵は感度が高ければ特異度が低くなりますし、特異度が高ければ感度は低くなります。大切なことは、その検査法の特性を踏まえてどう使っていくかであり、精度が完璧じゃないから使うべきではないというのは、明らかに思考停止と言えるでしょう。

 例えば、無作為抽出で10000人をPCR検査して100人が陽性であれば、「人口の1%以上に感染が拡大している可能性がある」といえるわけです。これは、偽陽性が極めて少なく、偽陰性が多いという性質を踏まえてのものです。少なくとも感染率の下限は推定できるわけです。

 なお、PCR検査の特異度を調べられた方の中には「もっと特異度は低いと書いてるじゃないか」と思われるかもしれないので、これについても解説しておきます。特異度というのは、「感染していない人を検査したときに、何パーセントの確率で『感染していない』と正しく陰性に判定できるか」という指標になります。ここで問題になるのが「感染していない人」をどのようにして集めてくるのかということになります。

 ですが、現時点ではPCR検査以上の確定検査法はなく、PCRで陽性であった場合に、本当に感染していないことを立証する術がありません。恐らくは、発熱やCTでの肺所見など症状を正として、それとの相関で特異度を出しているのでしょうけど、それはあくまで便宜的な特異度です。症状が無くても感染している可能性があるなら、この方法では特異度は求まりません。

最後に

 いかがでしたでしょうか。今回はいかにデータに基づいた議論が重要であるか、またデータだけでなく議論の前提やロジックを考えることも大事であるということを解説しました。

 コロナウィルスとの戦いを戦争に喩えるなら、疫学調査や基礎研究に基づくデータは、敵の位置や援軍の数、行動パターンなどを把握することに相当するでしょう。そういったデータなしに戦争をするのは、戦略もなしに戦場で兵士が戦闘をしているようなもので、必敗と言わざるを得ません。

 まずはデータに基づいた議論をし、それにより全体の戦略を立て、現場で戦う医療従事者の方を支援するというアプローチを、政治家の方には強くお願いしたいところです。

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posted by 勉三 at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 時事
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