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2018年03月12日

大学は就職のために行くところでいい

 ども勉三です。よくいるのですが「大学は学問をしにいくところだ」「大学は就職のためじゃない」「就職したいなら就職予備校や専門学校に行け」という輩。勉三はこういった詭弁が大嫌いです。大学は就職のために行くところでいいのです。そう考えている人の方がまともです。

「大学は就職のためじゃない」って言ってる人は大学を出て就職しないの?

 「大学は就職のためじゃない」と言えるのは定年後に純粋に勉強のために通う方や、もしくは家がとても裕福で就職などする必要もないという人ぐらいでしょう。そういう人であれば純粋に勉学のために大学に進むというのは分かります。

 しかし、大卒にせよ大学院卒にせよ、卒業後に学歴を活かして就職しようとする人が殆どではないでしょうか? 大学院に進んで研究をするという人も、博士号を取ったら何らかの職に就くことを考えている人が殆どでしょう。であれば、唯一の目的ではないにしても、就職は大学進学の重要な目的の1つのはずです。

 勉三のこれまでの経験からも、大学あるいは大学院を就職のためだと考えている人の方が話をしていて将来設計は余程しっかりしています。自分の行動の意図や目的をきちんと説明できるというのは非常に大事なことです。

 無論、「就職しなくて純粋に研究がしたいだけだから」という理由であれば否定はしません。そうであれば、大学院に進んで就職できなかったり、あるいはパーマネントのアカポスに就けなかったりしても文句を言うべきではないでしょう。就職のために進んだのではないなら、就職できなくてもいいのでは? と勉三は思ってしまいます。

大学院での研究なら、待遇さえ気にしなければずっとできる

 そもそも「学問をする」というキーワードも曖昧で人によってイメージするところが違うので、あまり好きな表現ではありません。勉三は今の大学(学部課程のこと)は高校の延長であり、やることが質的に変わるのは大学院からだと考えています。学部までは基本的には既に誰かが解明したことを学ぶところ。大学院からは自分で何か新しいことを解明するわけです。

 ですので「学問をする」という言葉が「高校までと異なる何かをする」という意味合いであれば、恐らくそれは大学院で研究をすることなのだと思います。でも「就職のためではなく学問のために大学院に行く」という人は、本当にそれだけで満足なのでしょうか? もし大学院の修士課程や博士課程で行うことを学問というのであれば、同じことは博士を卒業した後も待遇さえ気にしなければずっと続けられるのです。

 例えば研究生という手段があります。これは正規の学生よりも安めのお金を払って籍を置かせてもらうというものです。修士や博士といった学位が取得できるわけではありませんが、実質的にやることは同じことができます。また、お金のある研究室ではテクニシャン(実験助手)を雇ったりしているので、非正規で給与も高くはありませんがそれで就職することはできます。テクニシャンは本来は研究ではなく指示された実験作業などを行うための職種ですが、研究者志望の人が雇用が無いためにテクニシャンの形で研究室に在籍して、自分の研究も行うという形も今では一般的なのはご存知の通りです。

 なので、大学院で行っているような研究をしたいだけであれば今でも難しくないのです。ですが、「大学は学問をするところだ」といって大学院に進んだ人たちはそれで満足できるのでしょうか? そうではないでしょう。ゆくゆくは教授になって自分で研究室を切り盛りしたい。そういう野心があるから進んだはずです。であれば結局はよりよい就職のために大学に進んだということは否定できないはずです。

最後に

 大学は研究機関と教育機関の2つの機能を与えられているわけです。教育は何のためにするんだといえば、社会の役に立つ人材を育てるためでしょう。それはつまり就職して大学で学んだことを活かせということに他なりません。

 無論、かといって就活のテクニックなどに特化する必要まではないと思います。ただ、それはあくまで大学側の問題です。大事なのは大学という場を利用する学生の心の持ちようです。大学側がどうであろうと、学生側としては将来の就職のために得られるものは最大限得る。それが健全な学生側の態度だと勉三は思っています。

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posted by 勉三 at 20:00 | Comment(0) | 仕事・キャリア
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