2017年11月14日

「君たちはどう生きるか」を読んでむせび泣く

 最近、漫画版が出たり、宮崎駿監督の次回作のタイトルになったりと、何かと話題の「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎 著、岩波出版)ですが、私も読んだことがなくて気になっていたので衝動買いしてしまいました。

 感想。年がいも無く泣いてしまいました。お話は、主人公で中学二年生のコペル君こと本田潤一君と、級友たちとの間に起きる日常生活をベースにした小説であるものの、そこに叔父さんがコペル君への「ノート」という形で物の見方や考え方を説くという形式になっています。注目すべきは出版されたのが1937年ということ。ちょうど出版の1か月前に盧溝橋事件が起きたばかりであり、これから日本は日中戦争、そして太平洋戦争の泥沼へと突き進んでいく、そんな時代が始まろうとする頃に本書は執筆されたのです。

 もともと本書は「日本少国民文庫」という全16巻のシリーズのなかの一冊として刊行されました。後書きの「作品について」で、著者の吉野氏自ら出版当時の背景についてこう記されています。

当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され、労働運動や社会主義の運動は、狂暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。山本先生(筆者注:日本少国民文庫シリーズの編纂を務めた人)のような自由主義の立場におられた作家でも、一九三五年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というのでした。荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神を守らねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。当時、少年少女の読みものでも、ムッソリーニやヒットラーが英雄として賛美され、軍国主義がときに得顔に大手をふっていたことを思うと、山本先生の見識はすぐれたものでした。

この記述の通り、本書の考え方は非常に開明的かつ国際的です。このようなことを言うと昔の方に怒られそうですが、戦前からこういった現代的な考え方をされ、平易な言葉と題材で子供たちにそれを伝えようとした本書はまさに感嘆の一言に尽きます。

 コペル君の叔父さんのノートの中でも私が泣いた個所を1つ紹介しておきます。歳を取るとこういう何気ないところで涙腺が緩むんですよね。

 そうはいっても、「世の中とはこういうものだ。その中に人間が生きているということには、こういう意味があるのだ。」などと、一口に君に説明することは、だれにだって出来やしない。よし、説明することの出来る人があったとしても、このことだけは、ただ説明を聞いて、ああそうかと、すぐに呑みこめるものじゃあないのだ。英語や、幾何や、代数なら、僕にでも教えることが出来る。しかし、人間が集まってこの世の中を作り、その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということに、どれだけの意味があるのか、どれだけの値打ちがあるのか、ということになると、僕はもう君に教えることが出来ない。それは、君がだんだん大人になってゆくに従って、いや、大人になってからもまだまだ勉強して、自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ。

(中略)

 君は、小学校以来、学校の修身で、もうたくさんのことを学んで来ているね。人間としてどういうことを守らねばならないか、ということについてなら、君だって、ずいぶん多くの知識をもっている。それは、無論、どれ一つとして、なげやりにしてはならないものだ。だから、修身で教えられたとおり、正直で、勤勉で、克己心があり、義務には忠実で、公徳は重んじ、人には親切だし、節倹は守るし……という人があったら、それは、たしかに申し分のない人だろう。こういう円満な人格者なら、人々から尊敬されるだろうし、また尊敬されるだけの値打ちのある人だ。しかし、――君に考えてもらわなければならない問題は、それから先にあるんだ。

 もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられた通りに生きてゆこうとするならば、――コペル君、いいか、――それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間にはなれないんだ。子供のうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあダメなんだ。肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断してゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。(中略)

 そうでないと、僕やお母さんが君に立派な人になってもらいたいと望み、君もそうなりたいと考えながら、君はただ「立派そうに見える人」になるばかりで、ほんとうに「立派な人」にはなれないでしまうだろう。世間には、他人の眼に立派に見えるように、見えるようにと振舞っている人が、ずいぶんある。そういう人は、自分がひとの眼にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまうものだ。僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う。

追加の説明は不要でしょう。もともと子供向けの本なわけですが、大人が読んでも感情が揺さぶられるものがありますよね。

 なお、本書のオリジナルは1937年に新潮社から出版されたもので、現在書店で入手しやすい岩波文庫版はそれをベースに現代仮名遣いに改めるなどしたものとのことです。そういうこともあり、戦前の本なので読みにくいかなと思っていましたが、全くの杞憂でした。今の子供でも読めるぐらい文章は平易です。また、私は文庫版から読んで、漫画版の方はまだ読んだことがないのですが、最初に漫画版の方から入るのも全然アリだと思います。たまに漫画だからといって馬鹿にする人もいますが、切っ掛けはなんだっていいと思います。

 とにかく、私も含めて普段ビジネス書や専門書ばかり読んでて頭が固くなってしまっている大人たちには、人生を見つめなおさせてくれる、お薦めの一冊です。

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posted by 勉三 at 20:33 | Comment(0) | 書評
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